日月潭文武廟

台灣南投縣魚池鄉中正路63號

Tuesday, Nov 21st

Last update:08:57:00 PM GMT

You are here:

第九十一籤 趙子龍、太子を抱く(癸甲、中吉)

佛説淘沙始見金(御仏の説く、砂を篩て初めて金見えると。)

只緣君子不勞心(ただ汝、勤めぬが故なり。)

榮華總得詩書效(栄華を全て得れども、なお詩書の道理に習うべし。)

妙裏工夫仔細尋(教えの妙を、具に味わえ。)

【典故】三国時代の趙雲は、字を子龍という。常山の人である。最初、袁紹についていたが、後に劉備に従った。その時、曹操は江南に下ろうとしていた。まず最初にもともとの主人、袁紹を攻めた。袁紹は樊城に逃げたが、當陽で破れ、家族は散り散りになった。趙雲は土壁の傍で縻夫人に出会った。夫人は阿斗(劉備の子、劉禅)を趙雲に託した。趙雲は馬を夫人に与えたが、夫人は受取ろうとせず、井戸に身を投げて自尽した。趙雲は泣きながら埋葬し、阿斗を抱いて幾重もの包囲から脱出した。

【聖意】名利欲しくば、苦労すべし。訴訟には動くべし。終わりまで咎なし。縁談を問わば、友を選ぶべし。出ていった人を探すなら、二、六、九が吉。

【解説】仏様も砂を篩ってこそ、砂金は見つかると言う。もし注意して砂を振るわなければ、金は埋もれたままであろう。富貴栄華というものは、まじめに勉学に励んでこそ得られるもので、優れた才覚と言うのはゆっくりと鍛錬しなければ身につけられるものではない。この世に、努力なくして得られるものなどない。諺に「耕したぶんだけ収穫が得られる」という。なんでも、苦労をして、辛酸を嘗めてこそ、自分の願いにたっし、熟練することができる。天が助け、人がそれに従うのである。この籤を引く際、功名を問うたのなら、苦労をしてこそ得られ、財を問うたなら、やはり努力しなければならない。縁談を問うたなら、まず自分を磨いてこそ、希望がある。蘇東坡は「砂を篩わなければ砂金は見つからないように、努力しなければならない。富貴栄華というものは、皆熱心に勉強した結果である。がんばって自分を磨けば、必ず結果が出る。怠けていては、なにも得られない。」と言う。碧仙は「功名と言うものは、怠惰なものにた得られない。精神、肉体を駆使すれば、おのずと成果が現れるであろう。」と言う。