日月潭文武廟

台灣南投縣魚池鄉中正路63號

Tuesday, Jul 25th

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第一百籤 唐明宗、天に祈る(癸癸、上上)

我本天仙雷雨師(我、もと天仙雷雨師なり。)

吉凶禍福我先知(吉凶、禍福は我先にこれを知れり。)

至誠禱祝皆靈應(至誠に祈れば、皆叶い、)

抽得終籤百事宜(最終番のおみくじを引き当てれば、全て宜しかるべし)

【典故】唐の明宋の時代、沙陀国の人の子孫である。五代の時代の後唐という国、李克用の養子である。皇帝は即位した時、既に六十歳を過ぎていた。毎晩、宮中で、香を焚き天に「私はもともと西域の人です。世の中が乱れ、皆に推挙されて皇帝になりました。天の神よ、どうか一刻も早く、人民のために、聖人を遣わしてください」と祈っていた。『十国世家』に見える。

【聖意】お御籤は百番に至り、全て終わった。私の知るところによると、この世に凶はない。神のご加護を願い、黙々と善を行えば、危機の中でも安んじ、損の中でも益を得る。

【解説】わしは天仙雷雨師にして、吉凶禍福はすべて見通している。汝が誠心誠意祈りさえすれば、きっと願い事は叶うであろう。あなたが、この籤は百本の籤の内の最後百番目の籤を引きえたということは、何でも思い通りにできるという神のご加護があるということである。この籤を引いたら、計画ごとでうまくいかないことはない。すべてのことにおいて吉である。富貴なる人は満ち足りたまま維持していけば、裕福すぎて咎められるということもない。病を問えば、若年、壮年のものは吉で、老年のものは凶であるが、天寿を全うするとでている。縁談を問えば、ずっと長く添い遂げられる相手とめぐり合える。

蘇東坡は「神仙は、人々の吉凶禍福を承知している。どんな計画でも、損の中に利益もある。数を数え終われば、一巡してまたゼロから始まる。神に祈り功徳を積めば、きっと神のご加護があるであろう」という。明の穆宗の隆慶年間に、丁改亭という人がいた。試験を受ける際にこの籤を引いたが、後に百歳の誕生日を迎えることができた。であるから、この籤は吉祥の前兆なのであった。